楽士の呟き

2004年春

2/29

 ラテン語名句のコーナー、私のラテン語原体験であるmassangeana氏の名記事「ミサを読む」に倣って、新年度は「スターバト・マーテルを読む」とかシリーズものをやろうかとも思ったんですが、結局忙しさにまぎれてボツ。来年はどうなるやら。

 最近になってようやく、楽器を自力で運べるようにと、自動車の教習所に通いはじめました(ガンダム教習所じゃありません)。運転適性検査の結果は、5段階評価で3。慎重で落ち着いているが、視野が狭くなりがちで、いざというときの判断が遅れる傾向にあるとか。

3/8

 慣れないことに、最近ハイドンやってます。再来週に彼のオラトリオ『四季』の公演に加わるもんで。
 ハイドンがこの曲を書いたのは1801年のこと。チェンバロという楽器は、フランス革命(1789)で首ちょん切られた貴族たちの道連れになってますから、彼自身はフォルテピアノで弾いた可能性が高いです。とはいえ、レチタティーボ(語りに近い叙唱)の伴奏に優れるチェンバロは、オペラ劇場など限られた場所でならもう少し後まで生き残ったという説もあり、今回はそれに基づいた公演なわけ。
 私のレパートリーはおおむね1600年頃に始まり、1750年過ぎで終わっているので、ハイドンの曲なぞ弾くのは初めてです。50年先の響きは前衛的!

3/14

 ハイドンの話の続き。彼については、「赤い月と白い熊」の太陽領氏がうまいこと言ってます(以下引用)。

 一方で、ハイドンは、あくまでも「天使の代理人である職人」のワザなのです。ハイドンは常に、最初から「ふふふッ、いつオマエのドギモに刺し込んでやろうかな」、という邪悪な微笑みに満ちていて、そしてそのたくらみは絶対に裏切られることがない。
 ウットリとしているスキを突いてチクッと刺す蚊のようなモーツァルトに対して、ハイドンは不敵に堂々と予告状を突きつけてくる怪人二十面相なのだ。ハイドンはおもに高笑いをしている。リズム、旋律、転調、盛り上がりなどの面において、ハイドンの音楽はワザとザラザラ、ズリズリとしていることが多いのだ。

 ホント、これに頷く今日このごろ。今度のオラトリオも一曲一曲が実に巧く出来ており、相手していて楽しいです。

3/21

 今日のハイドンは結局、ほどほどの出来でした。満足はできないのですが、ただ、この田舎ではチェンバロという楽器は(それを弾く私も)知名度が無いですから、合唱団やオーケストラとのパイプが構築できたこと、また、よくやるサロンコンサートの20倍(800人余り)のお客様に聴いていただけたこと、それをもってヨシとすることにします。こうした「営業」も大事な要素。
 演奏がもう一つだった原因を分析するならば、指揮者の下で弾くという経験が大きく不足していたためでしょう。私は普段は2〜3人の相方と、(指揮棒でなく)ちょっとした気配や演奏自体を通して、双方向にキャッチボールしながら音楽を作っています。でも、今回のように百人を越える大所帯ともなれば、そうした地方自治ではやっていけず、指揮者を絶対君主とする中央集権の命令系統を作らざるをえません。冒険者と兵士の違いといえばお分かり?

3/28

 今日はオルガン。ときどき楽器をいじらせてもらっている教会から、ミサの終わった後に、地域の人たちにも公開したコンサートをやりたいということで、お声がかかりました。開かれた教会を目指すのはいいことだと思います。
 信徒さんと普通のお客さん、どちらでも楽しめるようにせにゃならんわけで、選曲に苦心しました。聖週間が近いことに寄せて、その時期の宗教音楽の中から、信仰や予備知識なしに聴いても美しさを味わえる曲をチョイス(これとかそれとかあれとかどれとか)。

 ミサが始まる前に、三々五々集まってきた信者さんが「ロザリオの祈り」をなさっていて、そちらの輪にも入れていただきました。ビーバーヴァイオリンソナタなど音楽では知っていましたが、実際に加わるのは初めての経験。
 変な言い方ですけれど、なんだかとっても合理的な方法のお祈りなんですね。唱えるたびに一つずつ珠を繰っていくため、「いま何回目だったかな?」なんて気にする必要がなく、心おきなくお祈りに没頭できます。

4/4

 巧みな構図で高い完成度を誇るラピュタとはまた違う意味で。
 初代ガンダム(テレビ版)の全台詞集を眺めていて、なんだかんだ言ってもやはりプロの仕事だなぁと思いました。毎回短い分量にきっちりとまとめ、その中でキャラを立てて、終幕まで繋げていく。私らがTRPGでやっているシナリオでは勝負になりません。各回最後につく、次回予告の煽り文句もうまい!

 おまけ:ゴッグ乗りのラサ曹長。水の嫌いな彼女に今度作ってあげたら? >アグリッパ

4/11

 年明けからの過密スケジュールがやっと一段落。死ぬかと思った…。冗談じゃなく、記憶の飛んでる日がけっこうあります。よほどテンパって練習していたんでしょう。
 おかしなテンションの頭にはおかしな考えが浮かぶもので。なんかこの二つって、やたらと似てませんか?

4/19

 What D&D Character Are You?

 私は「真なる中立・ドワーフ・バード/メイジ」でした。TNでバードなのはまあいいとして、なんでまたドワーフなんでしょうか。その上どーしょーもないマルチクラスしてますね。プレイヤーを小一時間問いつめてやりたい。当たっているだけに(笑)
 信仰は Dumathoin だとか。AD&Dでは Lathander のスペシャリティ・プリーストがはまり役だった私ですが、はじめっからドワーヴン・パンセオンにされちゃそうもいきませんか。むぅ。

 ついでにファンタジー職業適性診断。私はこんな結果。みなさんはいかが?

4/25

 「ギレン×デギン」って…。驚愕の発想です(:-O
 詳しくは紫乃さんの「アニメ」から2004/02/04を。いや世界は広い。

5/2

 明日は大恩ある兄弟子の結婚式です。式のオルガニストという役目を光栄にも拝領しまして、普段の演奏会以上に緊張します。同業者という、ある意味もっともシビアな視座で腕を買ってくださったからには、気合入れてキッチリ応えるのが心意気というもの。それにもちろん一生に一度のことですからね、少しでも良い思い出をもってもらいたいのです。

 ……ん、私?
 これまで恋をしたことは一度もないし、たぶん一生独り身でいるんじゃないでしょうか。『から騒ぎ』は大好きな作品ですけど(ベアトリスがとってもチャーミング!)、私の場合はまた事情が別というか。自分が生き延びていくだけで精一杯で、他人を望む余裕はありません。野垂れ死ぬのは一人で十分。

5/9

 今回コヴナントネタに追加の「裏の仕事」を思いついたのは、北森鴻の『狐罠』を読んだときでした。学芸員・古美術商・贋作屋などの絡まり合う、良作のミステリーです。その中で、妖怪じみた贋作作りの爺さんが、塗り物に時の経過をつける秘伝の薬だといって、何を取り出すと思いますか? なんと人間の皮下脂肪なのです。その凄味といったら。

 けれども翻ってみれば、「時に抗う」という意味では、私のような古楽演奏家も同じ穴の狢。現代人として複製するのではなく、往時の職人として創造する、という方法論まで共通しています。歴史の断層を超えて古人と同じ技を身につけるのは容易ではありませんが、それが出来てこそ彼らの真価を引き出せると信じています。

5/16

 コンサートの開演直前の楽屋裏ではみんな、少しでもいい演奏ができるようにと、思い思いの手段(悪あがき?)をとります。メジャーなのはドーピング。私は大福やクレープを一つ食べて、血糖値を上げてます(だから太るのかもしれない)。でも甘い物で間に合ううちはまだいいんです。そのうち効かなくなってきて、ドリンク剤に手を出しはじめますからね。

 上がり症の人は、気付けにお酒を一杯ひっかけたりするらしい。ホントか嘘か知りませんが、一杯のつもりが二杯に、二杯が三杯になって、そのまま寝こんでしまった強者(?)の伝説も耳にしたことがあります。傑作なのが指揮者の岩城宏之氏。あの「高見盛」をやるそうです。これが案外効くんだとか。今度私も試してみようかしらん。

5/23

 なんかずぅさんのこれ見てて思い出したんですけど、D&D3eの「グレートクラブ」って、釘バットなんですよね。嘘だと思ったらPHB見てくださいよ。うんこ座りして「あん?」とか言ってる不良ファイターにお似合いです。

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