サガ"フォッソル" 第四話

Et tu, Brute!

キャラクター

 ソーン (テュータルス派マギ)
  ぶっちぎりで主役の座をもぎとりました。"最愛のライバル"万歳。

 ファレル (メルケーレ派マギ:天稟あり)
  する人あればされる人あり(謎)。プレイヤー的に少しショックだったみたいで、
  もっと人をみてシナリオを考えなきゃいかんなぁとSGは反省。

 メーヤ (クリーアモン派マギ)
  グロッグのジャックが背負う籠にちょこなんと座るのが定位置に。
  前回にくらべ「人数が多い→表現が大味になる→キャラが崩れる」と苦悩なさってました。

 インタ (ウェルディーティウス派マギ)
  本日作成のニューフェイス。キャラ作りで手一杯だったらしく、気の毒なことをしました。
 

予兆

 あれはたしか、月が再び満ち始めた3月3日の夜のこと。
 辺りは静まりかえり、空は厚い雲に閉ざされていた。地獄の勢力を苦手とするファレルは、敵を知り己を知れば百戦危うからずとばかり、隠秘知識の研究に没頭している。その日も遅くまで、『地獄の働きに対する警告』と題したミラノの修道士の著書を読んでいた。

 ようやく書物を閉じてベッドに入った彼は、夢の中でかすかに、男のしわがれたうめき声を聞いた。
『…ブルータス…、どこ…いる…』

 触らぬ神に祟りなしと放っておいたファレルだが、声は毎晩きこえてくる。そして日に日に大きくなり、ぞっとするような、恨みめいた声音を強めていった。どうやら鍾乳洞の奥から聞こえてくるようだ。
『…おまえ…地獄…連れ…しに…』
 ファレルは次第に安眠できなくなっていった。
『…我に突き刺さった…おまえ…短刀…復讐を…』
 

来訪

 時は1221年の早春。冬に荒れくるったミストラルが収まり、谷の雪も溶けはじめる。フォッソルは設立から十ヶ月目を迎えていた。鍾乳石のウィース含有量は期待通りだし、採取や抽出の分担もうまく機能している。順風満帆のスタートといって差し支えなかろう。

 満月までもう二晩という3月13日の今夜、フォッソルの会議室ではちょっとした宴席が設けられていた。ソーンの師匠ゲルマニクスが昼すぎに予告なく訪れ、急遽歓迎の宴が催されたのだ。供のグロッグは一人としておらず、ReCo “7リーグの歩み”を連ねてのあわただしい来訪だった。

 あたりさわりのない世間話をしながら、貧乏財政許すかぎりのご馳走をぺろりと平らげると、十二宮図を描いた天蓋に浮かぶ、月のようなやわらかな銀色の光をうけて、ゲルマニクスはこう言った。
「今日急いで来たのは他でもない。耳寄りな話があってな。君たちにとってもだ」

 ゲルマニクスの話はこうだ。
 フォッソルの裏の鍾乳洞に、二十年ほど前に除名〜処刑されたマギ"ダミアヌス"の埋蔵金が存在する。ついてはそれを探したいので、洞内探索の許可および援助をいただきたい。そのかわり、見つけた宝の半分を進呈しよう。承諾されればさらに詳しい情報をお話しするがいかがか。

 マギたちは顔を見合わせた。赤帽士の卵だったファレルが一昨年の夏に見つけたこの魔法領域だが、以前にそこを知っていた者がいたとは聞いたこともない。もちろん設立にあたって洞内は自分たちなりに調べて地図も作ったし、出入りするようになってじきに一年になるが、そんな気配はなかったはずだ。

 「ダミアヌス……おじいさんの古い手紙にあったわ。古代の本をよく読んでくれるって」
メーヤの言葉に、目に隈のできたファレルがぼそぼそと続ける。
 「ウェルディーティウス派のダミアヌス。人造生命の研究を中心に、Corpusに著書多数。うちにもいくつかあったろ。アクアリウスのフローリア女史と、それにアルドル審問士も弟子筋だったかな」
 「除名は、俗世の娘をさらって血を搾り取っていたことが、俗世干渉に問われたと聞いています。悪魔崇拝とか、トレメーレ・ヴァンパイアとの関わりとか、いろいろ悪い噂はありますが……お師母さまはその人のこととなると、その、いささか情緒不安定になって。恐かったので、あまり持ち出さないようにしていました」
名前の出たフローリアの弟子であるインタが控えめに補った。

 「してその埋蔵金とは、いったい何があるんです?」
疑わしげに尋ねるソーンに、ゲルマニクスは鼻を鳴らすと言った。
「それは俺にも分からん。だが、奴は相当な腕のマギだった。ウィースか、それとも魔導器か。
……貴様、信じておらんな。夢のない奴だ。そんなふうでは、幸運の神の前髪を逃すぞ」

 そのときファレルが、鍾乳石をきりだした円卓の、美しい筋目模様をあてどなくなぞりながら言った。
「みんな、いいだろ。調べとこうぜ。家の裏におかしなのがあるようじゃ、気持ち悪いもんな」
 

密議

 翌日、ファレルとメーヤはグロッグのジャックを引き連れて、鍾乳洞を調べにいった。ソーン師弟も誘ったのだが、二人は来なかった。久しぶりの再会に、積もる話でもあるのだろう。
 ウィース採取で出入りしている右手の広間よりも、普段行かない箇所こそ見落としている可能性があると、正面の水路脇の細道を通ってみることにした。緩やかに流れる水が絶え間なく密やかな音をたて、ランプの明かりを受けてぼんやりと白い岩肌が浮かび上がる。
 そろそろと進んでいくと、天井の暗がりからキーキーという鳴き声や羽ばたきの音が聞こえてきた。ファレルは足下に柔らかいクッションのような感触をうけて目を落とし、また見上げてつぶやく。
「蝙蝠か。それにしちゃあ、連中いつになく騒がしいが」

 じきに細道は終わり、大きく開けた広場に出た。さきほどの水路はこの池を源流としている。上は見上げるばかりの天蓋をなし、そこからは無数の鍾乳石がつららのように垂れ下がる。左手の岩場の中央には、天井まで届く太い柱のような鍾乳石が立っていた。長い年月をかけて自然が彫り上げた芸術だ。
 コヴナント結成時につくった地図によれば、ここはいつもウィースを採っている広間の北側にあたるはずだ。あいだを仕切る岩壁には、ちょうどドアくらいの幅の狭い割れ目があいている。

 メーヤは奇妙な印象を受けていた。割れ目の周囲に、ぼんやりとした影が微かに重なって見える。そう、まるで立派に組み上げたローマの建築。大理石の門のよう・・・。
 まばたきする間にその影は消えていたが、こうした幻視を軽んじてはならないと、"おじいさん"はいつも言っていた。もしやと InVi の即興魔法を唱え、魔法オーラの密度を確かめる。
 やはり…。割れ目の隘路だけ、まるで雨水がカルストをしみ通ってくるように、流体ウィースがわずかに濃い。ここに何かあるのね。

 戻ったファレルは、ソーンに報告しようと、彼の研究室のドアをノックしかけてためらった。中から低い話し声が漏れている。
「…で、その"三月のIdus(中日)"が明日というわけですか」
「うむ、おそらくは今晩にも壁が薄くなりはじめているはずだ」
「その品は本当に中に…?」
「俺は賭けるに足ると思っておるよ。なにしろこれも直筆の研究日誌だからな」
「フフフ、よろしいでしょう。そのお話、乗りました。うまくいった暁には…」
「ククク、みなまで言うな」

 (やれやれ、これだからテュータルス派ってやつは。また何かの勝負かい。ま、ソーンならやらせといて大丈夫だろ。あれでフォッソルのことを思ってるからな。)
 肩をすくめると、ファレルはそっと立ち去った。
 

死神

 その夜、マギたちは揃って洞内に分け入った。目指すは昼にメーヤが見つけてきた、魔法オーラの濃密点。早春の谷の夜気は冷たい。むしろ中の方が温かかった。一行は無言のまま右手の広間を歩く。足下には一面、ウィースを含んだ細かい鍾乳石が針のむしろのように立ち並び、壁際にはずらりと石灰華柱。中央の溜まりに浮かぶ浮遊カルサイトが、ランプの明かりにきらりと光った。

 目的の割れ目の前まできた時、ファレルは立ち止まった。あの声が聞こえるのだ。
『…ブルータス…、どこにいる…』
耳の奥に響く、恨みつらみのこもった声。前よりずっと近い。ファレルは急いで ReVi の魔法円を描き始めた。

 そのころ、他の面々は割れ目の向こうに出ていた。浅く広い池があり、鏡のような透明な水面に、天井の鍾乳石からか、時折水滴が落ちてきては波紋を広げている。
 そして、そこには不気味なものがいた。池のほとりで、ボロボロのトガをまとい大鎌を手にした骸骨が、二首の猟犬を引き連れて、何かをかぎ回らせていたのだ。生者の匂いをかぎつけたか、犬がこちらを向いた。髑髏の人物もゆっくりと振り向き、蒼白い鬼火をともした眼窩でじっと見つめると、おもむろに歩んできた。

 『…ブルータスは…どこにいる…』
なま暖かい風とともに近づいてくるその姿に、恐慌状態に陥るグロッグたち。ソーンは前に進み出ると、呼ばわった。
「我々はヘルメス教団、フォッソルだ。我らが土地に立ち入る貴方は何者だ」
『…我は地獄の獄吏…カエサル…抜け出した魂を責め苦へと連れ戻さん…妨げることなかれ…』
「そのブルータスという人間の霊魂が目的だというのか」

 「やっちまえ。地獄の亡者が信じられるもんか」
後ろから震える声でファレルが叫ぶ。しかしソーンは言った。
 「待つんだ。無駄な戦いは避けたい。こいつの目的が本当にそれだけなら、黙認してやっても不都合あるまい。ヘルメス法典には、悪魔と取引するなとは書いてあるが、悪魔と戦えとは書いてない。それともあなたがサシで勝負してくれるのか?」
ファレルは沈黙した。ゲルマニクスも頷く。
 「そういうわけだ。魂を取り戻したら、速やかにこの地を立ち去ってもらいたい。よろしいか」
 『承知』
 

かの人はいずこ

 "名前の法則"をたよりに、メーヤが InMe の即興魔法を唱えていた。洞内いっぱいに広げた魔法の導くまま、広間の中央にぽつんと立つ大人の背丈以上の石筍をよけて、そのまま南に向かう。行く手の壁には石灰幕がかかり、そのまま石灰華段丘を構成している。もっとも、半ばトランス状態にあるメーヤの目には、そんな絶景も映ってはいなかった。彼女はもっと別な光景を見ていたのだ。

 周囲を階段状の議席に囲まれた、大きな広間。中央の演壇には、精気溢れる壮年の男がローマ風のトガをまとって立ち、何事か話そうとしている。
 と、そこへ突如、数人の議員が短刀をひらめかせて、演壇の男に駆け寄った。演壇の男は刺客の一人をみるや、驚きに顔をゆがめて叫ぶ。
「おまえもか、ブルータス!」
 叫びも空しく、ブルータスと呼ばれた青年は、真っ先に短刀を突き立てた。鮮血がほとばしり、男はくずおれる。青年は短刀を振り上げて叫んだ。
「独裁者は死んだ! ローマ共和国は救われたのだ!」

 石灰幕の奥に立つ青年の姿を、メーヤはたしかに感じた。
「ここです」
 そう告げて彼女は集中を解いた。途端に忘れていた疲れがおそってきて、軽くふらつく。ジャックがすかさず支えるのを見ながら、ソーンは貝殻をとりだし、囁いた。
「お師匠様、どうやら南の端、幕の向こうのようです」

 「そうか、良くやった。こちらも"鍵"らしきものを見つけたぞ」
 手元の巻き貝に口を寄せて答えると、ゲルマニクスは、なにやら岩塊をひねりまわしているファレルに目をやった。残った二人はさきほど池を調べていて、底に微かな燐光を放つ不審な膨らみを見つけたのだ。
 「どうも触った感じが妙だ。外見と凹凸が一致しないぜ。Imaginem がかかってんのかな。でもInVi にゃひっかからないしなぁ」
 小僧っ子が、貴様の呪文じゃ感度が足らんのだろう。まあ、その程度の魔力なら、「あの品」ではないとも言えるわけだ。ゲルマニクスは内心つぶやくと、ファレルから岩塊を受けとり、PeVi “現世の静寂の風”をかけてみた。

 "風"が魔法を吹きさらった後に残ったのは、やはり岩塊ではなかった。大理石の小像だ。翼ある靴をはき、ローマ風の旅装束をまとった若者を象っている。
 「ヒュー、我らがヘルメスかよ」
ファレルが口笛を吹いた。像を眺める二人の目は、やがて台座の部分に釘づけになった。そこには古めかしい文体で、こう刻んであったのだ。
 『我ヲ掲ゲテ門ヲクグルへシ。サスレバ中ヘ導カム』

 その言葉は偽りではなかった。オーラの濃密点で像をかざすと、目の前の隘路が七色に輝きだしたのだ。一行は死神とともに、光の中に飛びこんでいった。
 

隠れ里

 めくるめく色彩を抜けると、そこはローマだった。夜の底が白くなった。

 一同がいるのは、もはや湿った鍾乳洞ではない。古代ローマ様式の屋敷である。辺りは深閑と静まりかえり、天井に造りこまれた穴から夜空がのぞく。差し込む柔らかな月光が、インプルウィウム(雨水溜め)の澄んだ水に徹り、ゆらゆらと泳ぐ金の魚にきらりと映った。

 戸口がいくつもあるところをみると、屋敷中央の広間か。カエサルの連れた地獄の猟犬は、鼻をうごめかすと低く唸った。彼は無言で頷くと、鎌をたずさえて奥の裏門へ向かう。ソーンやメーヤもそれに続いた。ゲルマニクスとインタは脇の部屋を調べに行く。

 否応なく亡者と同席させられたファレルは、こみ上げる吐き気をこらえていた。口元を押さえて一人ふらふらと反対方向の玄関口から出ると、ファレルは絶句した。本当にここがあの鍾乳洞なのか。
 屋敷の外では星空に満月が輝いていた。目の前には浅く広い池が広がり、草木が茂っている。ライオンの頭をかたどった像が口から水を吐き出し、池から流れ出た小川が彫刻つきの石の橋の下をくぐって、屋敷の脇を走っていった。
 橋のたもとには見上げんばかりの大樹がそびえる。樹は周囲に枝を張りだし、緑の影を投げかけていた。さわさわという葉ずれの音が絶えない。

 見上げると、門には表札とおぼしき文字が刻んである。
「『ろーま市ノ法務官、まるくす・ぶるーたすノ館』か。BRVTVSとは、古風な綴りだな」
 ファレルはひとりごちた。しかしこの景色、どこかで見たような…。そのとき、脳裏で目の前の樹と鍾乳石の太柱がオーバーラップした。
「! レギオー、二重世界か!」
 

女神

 一方、木の門を開けたソーンたちの前に広がったのは、屋敷の裏庭だった。地面は一面の芝生。外壁に沿って柱が立ち並び、それに支えられて周辺部には屋根がせり出している。
 庭の中央は一段高くなっており、そこには見事な女神像が据えられていた。知恵と技、そして戦争を司るミネルウァ女神である。壮麗な鎧をまとい、長槍と大盾を地面に立て、右手を腰にあてて、こちらに凛とした視線を向けている。

 女神像はカエサルに目を留めると、まなじりを決して槍を構え、言った。
「我は墓の守り手なり。ここに眠るは高潔の士ブルータス。かれの平安を乱すべからず。地獄の手先よ、去れ。永遠の炎へと戻るがいい。かれはもはやそなたらの手中にあらず。正当な安息の中にあればなり」
 深みのある豊かなアルトだった。
「愚かなり。裏切り者は焼かれるが応報。木偶は黙りおれ」
 冷たく乾いた声でカエサルが応じる。それが戦いの合図となった。

 双頭の地獄の猟犬が、熟練した狩人を思わせる容赦のない身ごなしで飛びかかろうとする。裂けた顎からのぞく太い牙からは、毒々しい紫の滴が垂れている。しかしミネルウァの方が速かった。手にした槍を投げつけると、それは深々と心臓を貫き、猟犬は断末魔の叫びをあげた。
 その隙に、カエサルが鎌をかまえて間合いをつめる。骨ばかりの手に握られた鎌が蒼白い不吉な光を放つ。女神は鈍色の大盾で刃をそらすと、空になった右手で虚空から槍を掴みだした。目に酷薄な色をたたえて浮かべた笑みの、美しくも凄絶なことよ。

 「どっちにつく?」
 戦いは女神が押し気味。ソーンは決めかねていた。しかし、ミネルウァに InMe や InTe の即興魔法をかけていたメーヤが言った。
「あの像に魂はありません。役目に縛られた可哀相な土くれなの。解放してあげて」
「よし、ルイジ、ジャック、敵は女神像だ!」
「旦那とメーヤ様はどこへ?」
「奥を見ろ。階段の上に垂れ幕が下がっている。あそこに何かあるに違いない。お前たちはあの像をひきつけておけ」
「合点!」

 グロッグたちの加勢でカエサルは持ち直した。形勢は一進一退。勝負を決めるは時の運か。
 そのとき、脇の裏木戸が開くと、ファレルが姿を現した。屋敷の脇をまわって来たのだ。さらに、音を聞きつけたインタが、ゲルマニクスを残して裏庭に走ってきた。インタは冷静に状況を見極めると、脇に回り込み、ローブの隠しからイエローダイヤモンドをつけた赤リボンをとりだした。呪文を唱えてそのリボンを一振りすると、紅蓮の炎が弧を描いて飛び出す。
 空間に満ちる濃い魔力ゆえか、起こった炎は凄まじい。それが通り過ぎたとき、カエサルもミネルウァもいなかった。あるのは炭だけだ。鼻先を通り過ぎていった熱気に、ルイジとジャックは身を縮めた。インタの精妙な制御がなければ、彼らまで黒焦げになっていただろう。
 

 紫色をした天鵞絨の幕を上げると、そこは小部屋になっていた。正面には墓標らしき大理石の石塔がある。鷲をはじめとする美しい彫刻が施され、墓碑銘らしき文字が刻まれていた。

高潔ノ士ニシテ真ノろーま人、
気高キ まるくす・ぶるーたす
ココニ眠ル。
正義ノタメニ父ヲソノ手デ刺シタガ、
運命ニ裏切ラレ、無念ノ死ヲ遂ゲヌ。
彼ノ魂ニ安ラギアレ。

 そして、その墓標の上部には、ローマ風の短刀が刃をめりこませるようにして立っていた。柄を上にして、そう、引き抜かれるのを待っているかのように…。

 一行は墓の周りに集まり、それぞれに検分を始める。ファレルは誘われるように短刀の柄に手をかけた。とたんに激しい妄念が襲い、心を奪い取ろうとする。しかしそこは Mentem を学んだマギ、パルマ・マギカではねのけた。

 「地獄の獄吏もとうとうここまでたどりついたか。ブルータスは私だ。さあ、私は逃げも隠れもしない。くるがいい、カエサルの僕よ」
 低い声におどろいた皆が目を上げると、蒼白くぼやけた霊体が短刀から立ち上ってたゆたっていた。トガをまとった洒落っ気のない禁欲的な青年だ。厳しい口元が潔癖さをうかがわせる。

 あっけにとられたファレルが答える。
「オレっちはヘルメス教団のマギだ。カエサルとかいう死神なら、さっきそこで倒したぜ」
「ヘルメス? 失敬、君たちはメルクリウス神殿の神官だったのか」
「いや、神官とはちょっと違うんだが…」
「だがダミアヌスは、そのようなものだと話していたぞ。そうだ、彼の死は名誉あるものだったかね? 最後に来たときには、もう会うことはあるまいと、別れを告げていったのだが」
「ダミアヌス? それはいったい」

 そのとき、背後で呪文の詠唱がひびいた。
 

裏切り

 振り向いたマギたち。そこには、Perdo-Vimの印を結んで呪文を唱えるゲルマニクスの姿があった。魔法を打ち消すなら、直ちに速がけで対抗呪文を構成しなければならない。だが彼がいったい何を……? 誰もが戸惑い、動けなかった。

 その一瞬が命取りとなった。呪文を完成させたゲルマニクスから、魔力の"風"が吹き抜ける! その"風"はまたたくまにマギたちのパルマ・マギカを吹き飛ばした。

「全員動くな。パルマなき今、貴様らは丸裸だ。余計なことを企めば身の破滅だぞ」
「こんなことをして……評議会で訴えればあんたは破門だ」
そんなファレルの怒声もどこ吹く風。ゲルマニクスは余裕の表情で告げた。
「そうはならんさ。ソーン、例の品を使え」

 ソーンは不敵な笑みを浮かべると、懐から銀のメダルを取り出し、言った。
「ハハハ、お師匠様。ここまでなさらずともよかったのでは?」
「何を言うか。だから貴様は甘いというのだ。あれほどの宝器、千載一遇の機会ぞ」
「たしかに。さて、彼らの始末をしてしまわねば」

 もはや何が起きているのか、誰の目にも明らかだった。
おまえもか、ソーン!
 ソーンがアンドロメダの浮き彫りされたそのメダルをひねると、マギたちは不可視の鎖で縛られたように身動きがとれなくなった。それどころか、言葉を発することすらできない。口と舌の動きまで魔力が止めているのだ。
 ゲルマニクスは墓石の赤茶けた短刀を手に取ると、呵々と大笑した。
「破門者ダミアヌスの呪付せし、無限のウィースを生む夢の宝剣……ついに我が手に来たか!」
 師弟は目配せを交わすと、手分けして一人ずつ"始末"にかかった。PeMeの“ほんのひとときの記憶を失い”で、短刀の存在とこの一幕を「なかったこと」にしてしまうつもりなのだ。誰かがぎりぎりと歯がみする音が聞こえた。
 

フォルトゥーナの裁き

 ファレルはまだ諦めてはいなかった。あの裏切り者に、せめて一矢報いてやる。血がにじむほど唇をかみしめていると、ソーンがファレルの記憶を消しにやってきた。後ろめたいような表情で、それでも目を見つめて呪文をかけようとする。
 ファレルはこの瞬間を待っていた。Mentem魔法の多くは、かけるために視線を合わせねばならない。それはこちらも同じだ。
 「オレを怒らせた事を後悔しやがれ!」
 自らの天稟のみで、周囲の濃厚な流体ウィースに働きかける。詠唱に頼れないのはつらいが、指一本動かさずに魔法をかけるのはお手の物だ。CrMe25 “千の地獄の重荷”、悪人を懲らしめるために学んだはずの定式呪文を、ファレルは一気に織り上げ、目の前の仲間に向けてたたきつけた。
 心に地獄の罪人の悲鳴がこだまする。ソーンは予期せぬ反撃にたじろいた。しかしここで負けては終わりだ。なんとか最後まで呪文を唱えると、ファレルの心をのぞきこみ、震える手で記憶の白墨を拭い去った。

 そのころ、ゲルマニクスはメーヤに呪文をかけようとしていた。たくらみが万事うまく運んだ快感に、口元には抑えきれぬ笑みが浮かぶ。この小娘で最後だ。ソーンめ、あれでなかなか役に立つわい。研究室に帰ったらこの短刀、入念に調べあげてやらねばな。さてどこから手をつけたものか…。
 そんな雑念とわずかな油断から魔力にほころびが生じた。とっさに手綱をひきしめようとするが、レギオーの不安定な力場のせいで制御が戻らない。暴れ出した呪文は対象のメーヤのみならず、術者のゲルマニクスまでも飲みこんだ。

「おい、ソーン。宝は手に入れたのか?」

 師の言葉にソーンは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに事態をみてとった。他ならぬこの師直伝の機転をはたらかせ、ポーカーフェイスを装って答える。

「いいえ、この部屋にあるのは古くさい骨董品ばかりです。お師匠様はなにかご覧に?」
「他の部屋でウィースと、メルクリウスカルトの祈祷書を見つけたが……くそ、莫大な遺産というのはガセだったか!」
「まあこういうこともありましょう。さいわい記憶消去は成功したようです。……そうだ、いまお持ちのその短刀をいただけませんか。奴らにはそれが宝だったとでも言いくるめておきます」
「よかろう。後腐れなくやっておけよ。俺は先に帰らせてもらう。無駄足はもうたくさんだ」

 師の後ろ姿を見送りながら、見事"恩返し"をはたした策士は、自慢の口ひげをかすかに歪めていた。
 

エピローグ

 こうしてソーンはまんまと"ダミアヌスの剣"を手中に収めると、恩着せがましくこれをフォッソルの共有財産として供出した。もちろん、自分や師匠がみなを裏切ったことなどおくびにも出さない。

 ただ、なにも残らなかったわけではない。ソーンはしばらくの間、ひどい頭痛に悩まされた。しかもその様子をみたファレルが、自分がかけた魔法のせいとはつゆ知らず、「どうしたんだ、具合でも悪いのか?」なんぞと言ってくれたとか。どっとはらい。

[註釈とあとがき]

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