ピサ

(5月1日)


海洋都市

晴れ渡った日曜の朝、ピサ中央駅からドゥオーモ広場へ40分ほどの散歩を楽しむ。

  

ピサはやはりルッカよりも都会な感じ。さすがは海運の雄だっただけのことはある。カルチャーショックで滅入っていたのも、昨日のルッカの大当たりに加えて、こうして快晴の下を晴れやかな気分で歩いていると、ずいぶん気持ちが楽になった。

右の写真はメッツォ橋からアルノ川を望む景色。フィレンツェから流れてきたアルノ川は、ピサ郊外でリグリア海に流れ込む。

ピサの市庁舎。良港を擁するこの海洋国家は、ちょうどアルス・マギカの舞台でもある13世紀が最盛期で、ヴェネツィアに比肩するほどの力をもって地中海に君臨した。アルノ川に面したこの市庁舎を、市民たちは誇りもて見上げたに違いない。

ここには1343年創立のピサ大学もあり、大学都市としての顔も持つ。上は街路にさりげなく並んだガリレオ・ガリレイの家。

ちなみにガリレオの父親はヴィンチェンツォ・ガリレイといって優れたリュート奏者であり、かのフィレンツェのカメラータのメンバーとして、オペラというジャンルの誕生に一役買った(彼の楽譜の一冊はオリジナルの形でここから閲覧できる)。音楽理論や音響学における業績もあり、音楽が自由七科という学問の一分野だった伝統を継承する人物といえる。また逆に、子のガリレオの方もリュートを巧みに奏したと伝えられているし、ガリレオの弟のミケランジェロ・ガリレイはリュート奏者としてポーランド宮廷に奉職。この父にしてこの子あり。


奇蹟の広場

ピサのドゥオーモ付近は「奇蹟の広場」と通称される世界遺産である。五月の高い空の下、柔らかな緑の芝生を敷き詰めた広大な空間に、洗礼堂・大聖堂・鐘楼(斜塔)という三つの白亜の建物が並び立つ光景は、まさしく奇蹟のように美しい。芝生に腰掛けてジェラートを食べたり、付近を逍遙したりしてのんびり楽しんだ。

まずはドゥオーモに行ったのだが、日曜のためミサが終わるまで入場無料のかわりに、信徒以外はご遠慮をとのこと。警備員が縄を張っていて、入口付近から少しだけ拝観。少年時代のガリレイが振り子の法則を発見したというランプは、残念ながら遠すぎて見えず。

ただ、オルガンが鳴っていて、聞き覚えのある曲だと思ったら、F.クープランの『修道院のミサ』のキリエから、トランペット管のフーガだった。せっかくイタリアに来たのに、イネガルばりばりのフランスものとは、ちょっとがっかり。まあ私たちも日本で平気でやっていることだけれど。
オルガノ・プレーノが空間をほどよく満たしていて気持ちがいい。後陣全体が発音源に聞こえて、オルガンの位置は不明。1秒半のあいだにはっきりしたエコー成分が3回。1音1音がわりとモゴモゴした感じだが、フーガの構成は充分聞き取れる範囲。ミサの終わりまで聴いた。16'強めで、スウェルペダルっぽい効果もあり、楽器自体は新しい物なのかも。

  

ドゥオーモ付属博物館でみた13世紀の楽譜帳。もちろんネウマ譜だが、感心したのはその大きさで、見開きの横幅が1m以上。話には聞いていたが、よくもまあこんな大きなものを使っていたものだ。マギたちの研究書巻もこんななのだろうか?


斜塔と洗礼堂

そして斜塔。ご覧のとおり、傾いてます。建築中にすでに傾き始めていたというのだから、どんな欠陥設計だったのやら。

斜塔に登るには予め申し込みが必要だが、これも鉄道と同じく、日本にいる間にネットで予約していったので楽ちん。いい時代になったものだ。この塔でガリレイは有名な落体の法則の公開実験をしたから(もっともこれ自体は伝記を書いた弟子の創作らしいが)、入ってすぐ脇に彼の記念プレートがある。

登った上は、傾いていなくとも怖い高さ。ドゥオーモの屋根が見下ろせるという時点でおかしい。地平線まで一望でき、全市同じ茶色の屋根が続いているのが見える。ちょうど一番上にいたとき、各国語で「これから鐘が鳴るから気をつけろ。びびって落ちるなよ」というアナウンスが流れた後で、正午の鐘が朗々と鳴り渡った。街を見渡せることといい、たしかにここは鐘楼なのだなあと感心する。

  

もう一つは洗礼堂。私がピサ行きを望んだのは、ここに来たかったためと言っても過言ではない。この八角形の神秘的な空間は、残響時間が異様に長いと聞いていたのだ。実際に自分が訪れて手を叩いてみれば、自然に減衰してたっぷり5〜6秒!

そのうち、受付で居眠りしていた職員の男性が入ってくると、中央の説教壇を回りながらテノールでヴォイス・パフォーマンスをしてくれた。ヴォカリーズでオクターヴ三和音の4つの音が綺麗に重なる。エコーもあるにはあるが、その成分は少なめで、むしろ声がそのまま残る感じ。無理がまったくなく、堂内に自然に拡散。本当に一人で和音が歌えるんだ!

MDか何か持ってきて録音すればよかったのだが、ここへ来て気が付いても後の祭り。せめてもう一回聴こうと堂内のベンチに腰掛けて一時間ほど待ったが、再演の気配はなかった。残念。それにしても、こんなことが人間の設計で可能だったとは。建築の力というものを改めて思い知った。

[フィレンツェへ] [戻る]