フィレンツェ

(5月2日〜3日)


ルネサンスから

フィレンツェというと、アルス・マギカ的にはボニサグス先生の生地だけれど、この街の魅力はやはりルネサンス。

ヴェッキオ宮の五百人広間。ヴェッキオ宮はルネサンス当時はフィレンツェ政庁であり、共和国の中枢だった。ところが驚いたことに、これは「だった」という過去形の話ではない。

実はこのヴェッキオ宮に入る際、入口では探知器のゲートを使った厳重な身体検査が行われていて、いったい何事かと思ったら、宮殿内の一室で議会らしきものをやっていた。そう遠くないメディチ・リッカルディ宮には、現在では県庁が入っている。見てのとおりこの五百人広間でも、なにかのシンポジウムだろうか、プロジェクターの準備をしていた。

ローマに古典世界が息づいていたように、このフィレンツェはルネサンスの流れを引き継ぎ、歴史と現在が共存している…。(誰か私のロレンツォ・デ・メディチになってくれませんかね?)

#ヴェッキオ宮といえば、高楼方子の『ココの詩』を思い出す。紹介はこちらとか。

アルノ河畔から見たポンテ・ヴェッキオ。貴金属商が並ぶ橋で、ここといえばプッチーニのアリア「私のお父さま」であろう。結婚式の伴奏のオーダーがあったりすると、指輪交換の場面でよくやるのだ、これ。

土産を求める観光客が多いだけでなく、どうもごちゃごちゃした感じがある。橋には「落書きしたら懲役1年または1,000eの罰金」との張り紙があるのに、落書きが絶える気配はない。もっとも、マキアヴェッリが渡っていたころは、貴金属のかわりに肉屋だったそうだから、これよりもっと猥雑とした雰囲気だったのかも。
フィレンツェについてある程度まとまって読んだ最初の本は、塩野七生『わが友マキアヴェッリ』だった気がする。彼女の著作はどれも特定の男性に惚れ込んで冷静な視座を失っているきらいがあって、個人的には文学としても史書としてもイマイチなように思うのだけれど、この『わが友マキアヴェッリ』だけは、対象への愛情と知性が両立した傑作だと思う。

対岸のピッティ宮殿へ。中は宮殿の調度そのままに、パラティーナ美術館などになっている。
フィレンツェの宮殿はどこでも貴石細工の豪華なテーブルや棚がある。家具の装飾様式はまさしくチェンバロと同じもので、脚に浮き彫り、シノワズリ(中国趣味)などなんでもござれ。18世紀フランス風のもあったが、それはメディチ家とフランス王家の婚姻関係によるものか?

清濁併せ

フィレンツェ初日の早朝に向かったのは、サン・マルコ美術館だった。本来は14世紀創建のドメニコ会の修道院で、一時フィレンツェに神政を敷いたサヴォナローラもここの院長を務めたことがある。

撮影禁止なので写真は無いが、現在でも修道院の静かな佇まいをよく残していて、建物中が穏やかなドミニオンに覆われているのを感じる。つい半月ほど前に最愛の友人たちとやった演奏会、その中のクヴァンツのトリオ・ソナタの第二楽章が頭の中にループし、ウォーキングベースに乗った明朗なフーガ主題に、この空間の静かな喜ばしさが重なって、足取りも軽くなった。

ここは受胎告知をはじめフラ・アンジェリコの一連の作品や、ギルランダイオの最後の晩餐が有名だけれど、フラ・バルトロメオに出会えたのが一番の収穫だった。特に、洗礼者ヨハネの野性味と確信のまなざし!

隣接するサン・マルコ教会の祭壇付近。背後のオルガンも美しい。

  

サン・マルコ教会で行われるというコンサートのポスター。だから落書きはやめろと(ry

ドゥオーモ。ピサのも大きかったが、さらにでかい。それが国力の差か。
まして、大阪の中之島公会堂はこれを模倣したようなデザインだけれど、規模からすればほんのおもちゃだ。

  

  

463段・高さ約100mのクーポラを登りながら、堂内を見下ろす。

  

クーポラの頂上から。

それにしても、落書きするなという表示がしつこくあるのに、ここにも様々な言語で落書きが。日本語もハングルもある。相合い傘なたぐいが多い。ローマではこんなことはなかった気がするのだけれど…。

フィレンツェの第一印象は「汚い」だった。ルッカやピサは多少なりとも地方なぶん綺麗だったから。それに、フィレンツェの教会は拝観料をとるところが多く、たしかに文化財の維持は大変なのだろうけれど、世知辛いような面も否めない。けれどこれだけ美しいものもある。それをみれば、清濁併せ呑むというのが公正な見方か。

楽器博物館

フィレンツェの誇るアカデミア美術館には、実は楽器博物館も隠れている。入るとすぐに巨大なダヴィデ像が見えて意識をもっていかれそうになるが、そこでこらえて手前右手を探るとシークレットドアの暗い通路が(笑)

ストラディバリのヴァイオリンやアマティのチェロなど、ヴァイオリン族の名器が大量かつ無造作に並べられている。一応ガラスケースに入っての展示ではあるが、泥棒が入ったらどうするんだろうと心配したくなるくらい。今回の旅行ではローマでも国立楽器博物館に行っていて、やはり貸切状態だったけれど、向こうでは「東洋人が何しにきた」とばかりに職員が三人もついてきてたぞ?

ここのキーパーソンは、クリストフォリとトスカーナ大公フェルディナント・デ・メディチ。

クリストフォリはピアノの発明者として知られるが、それはピアノを発明しようとして発明したというよりも、とにかく様々な設計のチェンバロを実験的に試作していくうちに、そのうちの一つがピアノだったという方がおそらく当たっている。実際、ここに並べて展示されているように、彼のチェンバロとピアノはほとんど双子のような外見をしており、発音機構をすげ替えてあるだけにすぎないし、また、二重ヴァージナルや長大なフリューゲルタイプなど、「奇形」なチェンバロもごろごろしている。
また、これはクリストフォリではないが、フェルディナントの父が作らせた大理石の(!!)ダルシマーがあった。解説プレートによると、美術品としての価値を優先ではあるが「一応」演奏も可能とのこと。ドイツのジルバーマンもそうだが、危険修正てんこもりの実験大好きなウェルディーティウス派の工房を思わせて、なんとも愉しい(^^;)

これだけ好き勝手実験出来たのには当然、理解あるパトロンがいたからで、それがメディチ家のフェルディナント大公。ガッビアーニにフェルディナント王子と楽士たちを描いた絵画があり、右から二人目がフェルディナント、三人目はA.スカルラッティ

A.スカルラッティはフェルディナント大公のためにたくさん作品を書いたし、若き日のヘンデルもそう(ロドリーゴなど)。劇場の場所が地図に載っていないのが残念でならないが、ここはビデオ資料が充実していて、五百人広間の絵が表示されて「あ、あそこだ」と分かる。ヘンデルがこの街にいる。胸が苦しくなる。

  

最後はサンタ・クローチェ教会の資料室で見た楽譜写本で。大きさはケース前のおばさんと比べていただければ(笑)

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