ルッカ

(4月30日)


落差

ローマ最終日の日没時、通りに面したトラットリアのテーブルで、夕食をとりながら悩んだ。元々が現代日本でチェンバロ(300年前の地球の裏側の楽器)を弾くということ自体、一種の矛盾を孕んだ行為なのは疑いない。しかしこれほどの断層だったとは。前々から頭では承知していたが、それを肌身に叩きこまれた衝撃が消えない。パンチドランカーのような気分。

簡単な話、ローマ編でも書いたように、すべての壁が絵や彫刻で覆いつくされている。黒塗りのピアノとは異なり、ボディに華やかな装飾を施されるチェンバロは、本来そうした風景の中で調和する楽器なのだ。今まで、プレーンな白塗りのコンサートホールで平気で演奏してきたが、それがいかに「場違い」だったことか。
料理をとっても、味付けは濃厚でフルボディ。水気の多い日本のそれとは違う。そして重量感があり、素材自体が美味しい。オウィディウスに"materiam superabat opus"(腕前が素材を凌駕していた)という言葉があるが、それのまるで逆だ。音楽にしたって、空気の乾き方や会場の音響設計といった条件の差は、ここまで見ただけでも覿面。たとえ技が同じでも素材が違う。そして、良い素材に囲まれて過ごした数十年の月日が、いわば育ちの違いとして、腕前に跳ね返ってこないはずがない。

「古い音楽は、後世の"進歩した"演奏法や異なるバックグラウンドからのアプローチよりも、その音楽が生まれたままの環境に置いたときに真価を発揮する」というのが、私たち古楽奏者の信念だ。そのためにわざわざ、作曲当時の楽器を選んで使うし、現代的な五線譜よりも古文書のような楽譜を読む。だが、この空気、この会堂、この風土。そういった土地に根付いた「素材」の差は、故郷から遠く離れた日本でいったいどうしたら埋められるというのだろう?
チェンバロ弾きの修学旅行を掲げて来たこの旅行も、掴むべき問題意識の核心は、ここまでですでに捉えてしまったのかもしれない。悩みは深く、宿に帰っても沈み続ける。S.M.M.の鐘が聞こえる…。

……………

一晩悩んだ揚げ句、開き直って頭を切り換えることにした。

たとえ答えが出せなくとも、せっかくのこの機会、青白い顔で憂鬱に過ごすのは勿体ない。絵画や彫刻ですら、美術館外への貸し出しがある。けれども、建物の貸し出しはありえない。だから残りの日数、それをできるかぎり体得していこう。

そしてまた、空間という素材の逆の意味で、イタリアにある日本料理店は素材の不利をどう考えているのか知りたい。これは「日本のイタリア料理店」ではダメで、日本人ネイティヴな自分が、イタリア風の日本食を食べてどう思うのか、それを知りたいのだ。それは今しかできない。歩いていて見つかったら入ってみよう。

#日本料理店のは残念ながら実現しませんでした。


城壁の町

ローマ編を読んだ方から「長すぎ濃すぎ」と言われてしまったので、ここからはあっさり風味でいきます。

翌朝一番、日本で予約しておいた新幹線ES*に乗り、ローマのターミナルであるテルミニ駅から、一旦フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅へ。そこで改めて切符を買って、ヴィアレッジョ方面の鈍行に乗り換える。
目指すはルッカ。古い街並みを色濃く残す、愛すべき小都市である。今回の旅の真ん中の二日間はトスカーナの小都市めぐりがコンセプトで、一日目は氷川さんの希望でこのルッカを、二日目は私の希望でピサを、ということになっている。

このとき、車内で鼻血が出て往生した。イタリアに来てから食事が旅行者向けセットばかりで、野菜が決定的に欠けていた報い。ルッカ到着まではさいわい1時間以上あるので、下車までに止まってくれと、ティッシュをつめて我慢我慢。この日から先は、意識してサラダを注文するようにした。

  

フィレンツェ〜ルッカの車窓とルッカ駅。話に聞いていたとおり、東北本線だかなんだか分からないような、のどかな田園風景が続く。ヨーロッパらしいのは、放牧の羊を見たくらい? 

イタリアの鉄道は、世間で言われているほど悪くないと思う。たしかに発着が遅れたり、発車10分前になっても番線が表示されなかったりするのはなんとかしてほしいが、駅員は親切だし、なにより高機能の自動券売機が完備している。(なぜイタリア人が券売機を使わずに、わざわざ窓口に行列するのか、私には理解できない^^;)。

  

ルッカは古い市壁を完全な形で残す珍しい町。市壁で囲まれた旧市街は規制が徹底され、少し離れた新市街とは完全に切り分けられている模様。史跡と暮らしの切り分けを感じる。この辺ローマよりも割り切っている感じ。
駅は城壁の外にあり、少し歩いてサン・ピエトロ門(右写真)から旧市街に入る。自治都市だった昔には、ここに門番が立ってよそ者のチェックと税の徴収にあたり、外敵が攻め寄せればこの壁で食い止めた。平和な今はもちろん門番はおらず、市壁もほとんど土手のようにジョギングコースになっている。


故郷

  

市壁サン・ピエトロ門の掲示板。左側のポスターは没後200年のボッケリーニをテーマにした演奏会で、市内のジリオ劇場(写真右)で今夜行われる由。

そう、このルッカは、ジェミニアーニボッケリーニプッチーニといった幾多の大音楽家の故郷でもあるのだ。バロック・ヴァイオリンの大家であるジェミニアーニはもとより、ボッケリーニも(時代的な下限ぎりぎりながら)チェロ・ソナタやファンダンゴ、スターバト・マーテルなどで好んで携わってきたし、プッチーニだってオルガン伴奏の歌曲がある。いずれも身近な存在だ。

それにしても21:00開演というのがいかにも初夏のヨーロッパだなぁと思った。日本なら夜公演は18:30か19:00が相場。日の長い時期に、ディナーをゆったり済ませてから行きましょうということか。

  

ゆかりの音楽会は他にもたくさん開かれており、上のサン・ジョヴァンニ教会でも、ペンテコステに一連の公演が行われるみたい。そっと覗いたお聖堂では、ピアノを据えて何かの準備中な模様。手を叩くと自然な減衰で3秒強。いいなあ。

せっかくだからとプッチーニの生家を訪ねてみたが、昨年10月25日から修理のため閉館中との札。半年遅かったか。生家からすぐのサン・ミケーレ・イン・フォロ教会前には、「カフェ・プッチーニ」だの「トゥーランドット」だのといったご当地便乗のお店が並んでいて笑いを誘う。せっかくなのでカフェでジェラートを一つ(^^;)


小都市の魅力

  

背の高い民家に挟まれた薄暗い街路を抜けて(プッチーニの生家もこの通り沿い)、マンスィ宮へ。ここは16世紀の宮殿だが、その調度を保存しながら現在は国立絵画館になっている。私にとってルッカのメインターゲットはここで、実際その期待は少しも裏切られなかった。
16〜19世紀の絵がそれぞれの時代の内装の部屋に山ほど飾られており、まさに至福のひととき。中を撮影禁止だったのが残念でならない。マイナーな場所らしく、私が行ったときは他に誰もいなくて、受付のおじさんおばさんに不審げに見られたが、ここはまた何度でも行きたいと思う。隠れた名所。

ルッカのドゥオーモ。鐘楼の十字架はまさに天にそびえる。中もとんでもなく高い。ローマのソプラ・ミネルヴァ教会と同じ天井飾りで、ここもとても美しいが、むしろ巨大さに圧倒された。残響はたっぷり4秒で、拡散する感じ。ステンドグラスの光が柱に映り、薄暗い堂内はしめやかでひんやりした空気が満ちている。

フィッルンゴ通りの乾物屋で、ポルチーニ茸や蜂蜜、オリーブオイルやトリュフ等を買った。ローマのような大都会とは違って、こういうのをお土産にしたくなる。帰りの車内で氷川さんと「予想外に大当たりの街だったね」と頷きあったが、こじんまりとした世界がこうした小都市の魅力なのかもしれない。


修道院

この日のうちに汽車でルッカからピサへ移動し、郊外に宿をとった。

  

S.CROCE IN FOSSABANDA。14世紀建立の修道院(左)と教会(右)だが、現在では修道院の建物をホテルとして使っている。

    

部屋はこんな感じ。

    

  

静かな夜と小鳥のさえずり。教会併設の修道院そのままの佇まいで、いっとき中世の修道士やスコラ哲学者たちに思いを馳せた。

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