魔術関連のアイディア

■秘剣伝授

 柔軟で豊かな研究ルールに恵まれたのが仇になって(?)、時間的な制約さえなければ、マギたちはいつでも自分の好きな魔法を開発できるように思われがちです。それはあながち間違いでもないのですが、アルス・マギカでも、やはり秘伝というべき呪文は存在するのです。

「いや、もうひとつ話すことがある」
 弥左衛門は言い、茶碗を掴んでゆっくりとお茶を啜った。そして茶碗を置くと、突然に村雨という秘剣があると言った。
「当道場の、ひとには知られておらぬ秘伝の型だ。兵法修行中に会得した型に、その後わしがさらに工夫を加えて秘伝としたものだが、これまでわしがその秘伝を伝えたのはただ一人。それがずいぶんむかしの話でな。もはやわしは年老いて明日知れぬ身となったが、その人物もやや老いてきた」
 弥左衛門の意外な話に、文四郎は身体を固くして聞き入った。
「このまま、わしもその人物も世を去っては秘剣村雨は世に伝わらぬ。それが近年ただひとつの気がかりでな。ひそかに伝えるべき人物を物色して来たが、これまではその機会がなかった」

〜藤沢周平『蝉しぐれ』

 まず一つ目に、純粋に技量の限界に由来するもの。
 およその目安として、術法値が25に達すれば一流とされています。30を越えるくらいになると、もういい加減伸ばすのも苦しくなってきて、大魔術師の称号を得たマギでさえ、多くは50まで届かずに終わるでしょう。
 これはすなわち、研究値にも一定の限界があることを示しています。上記のような老マギでさえ、80がいいところだということです。ヘルメス魔法最高の蘇生呪文であるCrCo(Me)“戻りし生命の影”が75レベルであることは、一つの傍証といえます。
 つまり、70レベル程度の呪文を開発できるのはごく限られた人物にすぎません。そして彼らですら、90〜100レベルの呪文を作ろうとすれば、《魔術との親和》《発想の天分》といった美点、そして多数の助手や優れた研究設備といった環境に恵まれなければ無理なのです。

公式の設定にはありませんが、たとえばフランボー派の首座には代々、CrIg80くらいの龍炎の呪文が伝わっているに違いない、わたしゃそう思うんですよ。それが振るわれるのを見れば、かの人こそ名にし負う首座だと知れるような。

 二つ目には、実験や長期の研究によって生じたもの。
 第四章にある実験の特殊結果表を見ると、ダイスの神様のお導きによっては、開発した呪文に予期せぬ付随効果がついたり、効力が異常に上がったりする可能性があります。研究書巻がなければ、これを意図して再現することは不可能です。

 如月まゆらの人形写真は、彼女が類い希な創作者であることをはっきりと示している。だが、同時にある決定的な事実をも、物語っていた。まゆらでさえ、あんなものはもう二度と作れない。あれは後にも先にも一度きり、一体限りの奇跡……。

〜加納朋子『コッペリア』

 また、ありふれた呪文でも、WGREの研究ルールによって「最適化/optimization」を施して、詠唱の目標値を下げたバージョンは貴重です。儀式呪文ならウィースの消費量が減る、戦闘用の呪文なら疲労しにくくなる、などなど、使い勝手が大幅に上がりますから。
 さらに、もっと根本的には、WGREの基礎研究ルールによる成果もこれにあたるでしょう。最先端の人材が数十年の歳月をかけてものした研究、それはまさに時代を先取りした効力(PLレベルでいえばルールを逸脱した効果)をもたらしてくれます。

ミス・ダルシラは籠の中に手をつっこんで、赤い液体の入った瓶を取り出した。
「先代からこれを受け継いだのはわたしだけよ。さあ、どうするの」
(〜)
 瓶の栓を抜くと、霧のようにふうわりと、苦く甘い香りがたちこめた。膝をついて、それを相手の顔の前に近づけた。ヘルメ・ハイネはそれを深く吸いこんで、目を見開いた。灰色の目の奥に、驚きに満ちた恍惚とした表情が広がった。
「《竜の血》」
「ええ、これを作れるのはわたしだけ。半分トロールになりかけた人の血を温めることのできるのは、これだけだわ。お飲みなさい」

〜井辻朱美『ヘルメ・ハイネの水晶の塔』

 こうした呪文を修得するには、知っている人から教えてもらう(訓練)か、記された書巻を解読するしかありません。(写本を作らせてもらってそこから直接詠唱する手もあることはあるし、実際にはそれで済ませることが多いでしょうが、詠唱に時間がかかりすぎるし、本当の意味でのレパートリーとはいえない)。後継者選びなどはもちろんですが、伝授だけでもすでにサガ一本立てるに足るドラマを予感させませんか?

 織部正は文四郎を呼び、文四郎が前に座ると、まず秘剣を人に語らないことを誓わせた。そのあと伝授は夜の間にだけ行い、およそ七夜を要するだろうこと、今夜はひと通りの型を見せるだけであることなどを話した。
 二人は立って神棚を拝し、それから道場の中央に行った。織部正は文四郎を青眼に構えさせ、しばらく気息をととのえてから、ゆっくりと秘剣村雨の一ノ型に構えた。
 文四郎の胸に衝撃が走った。織部正の構えが想像を絶したものだったからである。織部正の右手の木剣は八双の位置で天を指していたが、左腕は軽く前方に伸びて何かの舞の型に見えた。

■生贄

 かねてからの持論なのですが、究極のマテリアル・コンポーネントとは、ズバリ生贄です。

 もっとも、マギたちのヘルメス魔法には、生贄のルールはありません。彼らの倫理観からすると別段タブーというわけでもなさそうですが、何らかの理由でそうしたメソッドが構築されていないのでしょう。個々の定式呪文の焦点具をみれば、人間の心臓で共感の法則を用いたり、死霊術に栄光の手を併用したりと、似て非なることはしていますけれど。

 逆に、積極的に生贄を活用(?)しているのは、悪魔崇拝者(diabolist)たち。サプリメント"The Black Monks of Glastonbury"で彼らの力に明確なルール定義が与えられましたが、そこでは生贄がほとんどマギにとってのウィースに匹敵する価値をもっています。テンプルの建立にあたっても、また個々の取引にあたっても、生贄で判定値をいくらでも上乗せできるのですから。
 動物の生贄で得られる値は最大で+2と、たかが知れています(それでも低コストですから毎回やるでしょうけど)。しかし人間なら+3、無垢な嬰児なら+5で、なおかつ重複が有効。そうとなれば、大がかりな効果を授かりたいときに、多数の嬰児を攫ってくるのは、ごく当然の戦略です。

 他のファンタジーRPGでよくあるような、邪神復活やら世界破滅やらの儀式には、こうした数値の下支えが不可欠で、だから世の暗黒教団は人さらいに走る。実に合理的です。不老不死や錬金術にのめったジル・ド・レだってそうでしょう。ヘロデ王の幼児虐殺を心持ち重ねたりもできるかも。

 具体的な話をすれば、七つの大罪を統べる悪魔エスカルス(escarus:"Festival of the Damned"の黒幕)、彼から無期限の奉仕契約をとりつけようとした場合、目標値はざっと240になります。普通にやっていたら到底届きようのない値ですが、それなりの生贄を捧げれば(無垢な子供40人とか、大人35人+子供20人とか)、充分間に合います。
 実力値90の無敵の大悪魔がいつでもいくらでも手助けしてくれるんですよ。それを考えると、くらっときたりしませんか?

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