師弟の絆
「血は水よりも濃い」という諺がありますが、マギたちの師弟関係はまさにそれです。親(parens)と子(filius/filia)の契りなのですから。この連鎖によって、1220年のキャラクターたちも(若干の例外を除けば)、魔術団の祖師のいずれかまで遡ることができます。そしてその「家系」を表すのが
House であり、ここでは慣例的に「流派」と訳していますが、本来的には「家」とすべきところ(ボニサグス家とかイェルビトン家とか)。
教え方も教わり方も代々受け継がれていきますから、弟子が師に似るのは自然なことで、それが集まって流派を形成しているとみるのがいいでしょう。伝統に由来する美点や欠点、あるいは秘伝の呪文は弟子に伝わっていきます。そういう意味で師弟の共闘や対決は燃えるシチュエーション。
今野緒雪『マリア様がみてる』をご存じの方がいらしたら、紅薔薇・黄薔薇・白薔薇の各ファミリーを、魔術団の流派と重ね合わせてみるといいと思います。天稟持ちの人間の数が少ないため、マギたちは弟子を選ぶ贅沢をほとんど許されませんが、彼女らの場合は自分なりにこれぞという相手と結びますから、なおのことこの傾向は強いでしょう。たとえ本人に自覚はまったくなくとも。この辺、「紅薔薇は代々おせっかい焼きの家系」とか「愛するものを運命によって奪われるのは、白薔薇の伝統的な呪いなのかもしれない」とか、天野拓美さんが綺麗に言い当てておられます。
もっとも、師弟の関係は百人百様。たとえば、年齢差が少なくほとんど兄弟のような師弟というのと、晩年の巨匠とその最後の弟子というのでは、まったくニュアンスが異なります。それに結局は人間対人間ですから、相性の善し悪しはあるでしょうし、敬愛・憧憬・畏怖・反発・嫌悪など抱く感情もさまざまです。ただ一つ言えるのは、お互いに絶対に無関心ではいられないということ。
余談になりますが、チェンバロ弾きとしての私は、このごろ師匠にきわめて近しい性質を持つようになりました。これには、持って生まれた資質のせいもありますし、手ほどきの段階からずっと同じ師の許にいたためもあります。いずれにせよ、「君は私に似すぎてきた。劣化コピーになっても仕方がないのだから、これからは自分ならではの表現を見つけるのが課題だ」と言われているところ。
親しい兄弟子はもう少し早い段階で、一門の中から、より自分に合った師匠のところに移りました。そちらの先生の血を濃く受け継いで、また違った弾き方をするようになっています。そしてその方の秘伝を会得してこられたので、今度は私がそれを流してもらったり。いろいろです。
世間からもそうした深い間柄と見られますから、一対一の関係以外にも、師匠がどんな人物かは弟子のキャラクターに大きな影響を及ぼします。分かりやすいところでいうと、師匠が偉大であれば、その顔に泥を塗ることがあってはならじと、不肖の弟子は相当なプレッシャーを感じて、我知らず懸命に背伸びするものです。期待の大きさに押しつぶされる者もあるでしょう。逆に、師匠の汚名のせいでいつまでも色眼鏡で見られてしまい、いっそ縁を切れればどんなにいいかと考える弟子もいそうです(これの上巻§4とか)。
もっと言えば、師匠同士の過去が、それぞれの弟子たちに微妙な影響を及ぼすこともあるでしょうね。
「若い頃の二人に戻りたいのか、ラドンナ?」パー=サリアンが尋ねた。
彼女はしばらく答えず、やがてかれを見上げると肩をすくめた。「知識と力と技とを白紙に戻して、その見返りは? 熱い血潮? いいえ、遠慮しておくわ。あなたは?」
「二十年前ならわたしも同じ答えをしただろう」パー=サリアンはこめかみをさすった。「だが、今は…どうだか」
(ワイス&ヒックマン『ドラゴンランス伝説』より)
プレッシャーといえば、それは師匠の側も同じかもしれません。もしかしたら評議会では、「弟子一人作れない人間に発言権はなくってよ」なんて風潮もあるかも? また、弟子の素行は自らの評判にかかわります(さらに言えば、法典やWGREの記述にありますが、切腹の介錯と同じく、何かあったときには被告に近しい人間が刑を執行するのが作法)。
なお、「名選手必ずしも名コーチならず」ということには注意すべきでしょう。要するに、高い術法をもっていても、【交渉】や〈講義〉〈議論〉〈著述〉が低ければ、師匠としては無能ってことです。逆に、自身の魔術能力は超一流でなくとも、名伯楽として尊敬されているマギもいます。
また、親は子に自らのものを引き継ぐ(譲り葉)ものですが、そこでもし研究を他人に譲るという遺言があったりしたら…ドラマの始まりですね。あるいは、イカレた師匠だと、弟子の才能に嫉妬してかえって邪魔をするかもしれません。いずれにしても師弟とは、切っても切れない、切れば血の噴き出る絆なのです。
最後に師弟の名場面をいくつか。
A. K.
ル・グィン『ゲド戦記』から、ゲドとその最初の師であるオジオン。
「オジオンさま…」
「やあ、来たか。」オジオンは言った。
「はい、出ていった時と同じ、愚か者のままで。」若者は言った。その声は重く、かすれていた。オジオンはちらと笑って、炉端の自分の向かいにすわるよう指図し、茶の用意をはじめた。
「わたしは賢人の島で、多くのすぐれた魔法使いとともに歩き、ともに暮らしてきました。けれど、オジオンさま、あなたこそ真にわたしの師と仰ぐ方です。」ゲドの声には深い敬愛と静かな喜びがこめられていた。
「うむ、そう言ってくれるか。」オジオンは言った。
パスカル・キニャール『めぐり逢う朝』から。
「誰だ、こんな夜更けのしじまのなかでため息をもらしているのは?」
「宮廷を逃れ、音楽を求めにやってきた者です」
サント・コロンブ氏は、その声の主に思い当たると、顔がほころんだ。
「ところで、音楽に何を求めているのかな?」
「悔恨と涙です」
すると扉がすべて開かれ、サント・コロンブ氏はよろよろと立ち上がった。彼は入ってきたマラン・マレに丁重に挨拶した。二人のあいだにはまず沈黙があった。
「先生、最後のレッスンをしていただけないでしょうか」と、マラン・マレはふと我に帰ったように勢いこんで言った。
「それでは、最初のレッスンをさせていただくかな」と、サント・コロンブ氏はくぐもった声で答えた。
井辻朱美『ヘルメ・ハイネの水晶の塔』から。
「いや、すべてはわしのとがだった。わしはそなたをあまりに自分に同調させた。そなたはわしとは違うもののはずだったのに」
「違うもの? 違うものとおっしゃるの」
魔女は思いかえしていた。むらさき野の一面のラヴェンダーの中、彼女は、柔和な声と物腰の老人といっしょに歩いていた。浜風がときおり原をわたっていって、海鳥のするどい声を運んできた。ハーブを集めているとき、原がざわざわと鳴ると、彼女の中で何かがともにとどろいた。夕陽が細い草の一本一本を輝かせると、彼女の中の何かが草とともに祈った。
師匠は部屋の隅にもたせた杖に向かって何か言い、そうすると杖は甘い澄んだ声で歌った。それをきくときの師匠の笑顔ほど明るいものはなかった。ダルシラは、杖が彼の波長をとらえて歌いかえすのを知っていた。そして、いつか、わたしもあの歌をもちたい、と憧れた。
わたしの生は、いつかあの完成された歌に近づくことにあった。ヘルメ・ハイネの深く明るい大胆な知恵に近づくことにあった…。
魔女は涙をぬぐって言った。「冷たいおっしゃりようです。わたしを作ってくださったのはあなたなのに」
「ダルシラよ、そなたほどの完成された魔女は見たことがなかった。わしはいつもそなたを深く尊敬していた」
「でもあなたは あなたはわたしにあとを譲ってくださらなかった」
雪はいよいよはげしくなり、難溶性の白い粉を瓶の水に入れてかきまわしたときのように、空気さえもにごって感じられた。長いときがたった。
「 なぜ、と言うのか、ダルシラ」
彼は形のよい鼻梁をそむけて、わずかに自嘲の笑いをもらした。その癖もダルシラには気が狂いそうなほどなつかしく思われた。
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